二人男子の育児日記

4歳、2歳の男の子育児の日々や家事のことを書いています。

2018年上半期〜低迷、、、から下半期は上昇だ!

今週のお題「2018年上半期」ということで、考えてみた。なんと言っても長男4歳の入園が一大イベント。1月から3月前半にかけて準備。大の苦手の裁縫の腕がちょっと上達。間違いなく結婚後6年間での針仕事時間を上回る実践時間。先週の日曜日には旦那のズボンの裾上げも適当に、っていってもYouTube見ながらだけど済ませた。子供によって強制的に身につけさせられたスキルと言える。

 

3月後半は入園準備終わったので、3人で電車でちょっと遠出したりお弁当作って桜見たりと、とにかく3人最後の時間を満喫した。充電みたいなものだったかなぁ。

 

そして4月以降。降り坂に入る。毎月一回は自分自身が熱を出す。気分的にもだんだんマイナス思考。入園後の長男は何かと心配。…としている間に停滞期にどっぷりつかり、自分のお墓まで考えるに至る。

 

夫婦別姓というものを結婚によって姓が変わった方はどうお考えでしょうか?当初違和感なく結婚したら女性の性別は変わるもんだと思っていた。しかし子供妊娠中に子供の性別に関して言われたこと等々から私は誰?という感覚が芽生えた。名字は私のものじゃない感覚。私の名前は下の名前のみ。結婚前の家からは出て行った人。結婚後の方はどうも馴染めない。私は結婚前の名前で色んな方と出会って友達になったり喧嘩したり勉強も受験も、今の自分を培ってきたという感覚がある。どうも結婚後、私は根無し草なのだ。

 

しかももしも離婚した場合、姓が変わった方は元の姓に戻るか結婚後の姓を名乗るかの決定権もないらしい。なんと結婚後の姓を名乗るには先方の許可がいるそうだ。そもそも受けた教育は人間平等、性別平等、兄弟平等。が、実社会は男女差あるし、兄弟平等とか言っても実社会の相続はお墓やら分割できない土地やら介護やら、面倒なものは家長時代の名残で長男なのだ。この教育と現実のギャップにどっぷりはまっている感じがする。そんなわけでと言っていいかわからないけど、結婚後の家のお墓に入るのは抵抗を感じる。安息の場と感じられない。

 

そして子供を通しての付き合いが今までより重みをました。私個人のつきあい、ではなく幼稚園という縛りの中で「長男の母」と「◯◯さんのママ」っていうつきあい。未就園の頃の公園はある程度誰と付き合うかはまだ自由度があった気がする。そこでだけど、なんだか旦那の奥さん、子供の母っていうだけじゃなく「私」っていう顔が欲しくなってきた。仕事を始めるのも1つだと思う。自分の収入があればもっと自由に行動できる気もする。

 

そんなわけで健康と在宅ワーク?に関心が出てきた上半期です。下半期はここで頑張りたいけど、頑張れるかな?いやいや、頑張れ私!

 

なんだかツラツラと思うところを書いてしまいました。見苦しくてすみません。最後まで駄文にお付き合いいただいた方、本当にありがとうございます。